History of Oshima-beya

立浪部屋(元関脇・羽黒山)所属の大関・旭國は、1980年(昭和55年)1月に分家独立し、2代目大島親方として大島部屋を創設、同年3月場所に新弟子約10人で大島部屋はスタートした。

2代目大島は、第63代横綱・旭富士や小結・旭道山をはじめ一代で多くの関取を育て、部屋は立浪一門の中核的な存在となった。

また、1992年(平成4年)には、モンゴルから6人の新弟子を迎え入れ、現在まで続くモンゴル人力士の隆盛の先駆けとなった。その中からは、旭鷲山が小結に、旭天鵬が関脇にまで昇進した。

大島部屋 閉鎖

2012年(平成24年)4月の大島の停年退職を控えて、2007年(平成19年)に日本国籍を取得していた旭天鵬が部屋を継承する方向で準備に入っていたものの、2012年に入って旭天鵬自身が大島の退職後も現役を続行することを希望したことから、大島が停年退職した4月24日付で部屋は閉鎖、所属している力士らは友綱部屋へと移籍した。

旭天鵬 幕内優勝

転籍直後の5月場所、関脇旭天鵬は昭和以降最年長の37歳8カ月で自身初の幕内優勝を果たす。

 

その後旭天鵬は、2015年(平成27年)7月場所限りで引退し年寄・大島を襲名したが、大島部屋の再興はせず、年寄4代目大島として友綱部屋にて後進の指導に当たる。

12代目友綱

2017年(平成29年)6月に移籍後の師匠である11代目友綱(元関脇・魁輝)が定年を迎えるのを機に、5月場所後に名跡を交換して、12代目友綱として友綱部屋を継承。

モンゴル出身力士で初の師匠(部屋持ち親方)になる。

大島部屋 再興

2022年(令和4年)2月に5代目大島(元関脇・魁輝)の5月にむかえる再雇用終了を前に、再び名跡を交換し、6代目大島親方として大島部屋を再興するに至る。

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部屋概要

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師匠 大島 勝(元関脇旭天鵬)
所属親方 玉垣・桐山
コーチ 日高
力士 旭大星・旭将里・旭輝山・旭丸・旭大海・旭水野・旭海雄・旭天道・旭大龍